幼姫と騎士の昔話

第12話 友人


 あの事件からふた月。クラシスの負った傷もようやく癒えてきた頃、いよいよ護衛騎士への叙任式が行われることとなった。護衛騎士になれば専用の自室を与えられるため、もう従士寮に泊まることはない。事件以来ずっと治療のため城の医療室にいたが、従士寮で過ごせる最後の晩クラシスは寮の中庭で一人夜風に当たっていた。
 服の下につけている十字架のネックレスに布越しに触れる。――あれからティナベルとは一度も顔を合わせていない。侍女に聞いた話では何度も見舞いに来ようとしてくれていたそうだが、王の命で侍女に止められていたそうだった。だが、明日になればそれも終わる。明日からはずっと側にいることになるのだ。いつか彼女がクラシスと共にいるのを嫌になったとしても。

「クラシス・ティーヴ」

 不意に声をかけられた。振り向くと、視界の中で紫色の髪が夜風になびいた。

「……サンディ・ハートか」
「いい加減フルネームで呼ぶのやめなさいよ」
「いや君が先にフルネームで呼んできたんだろ。いつもさ」

 また怒らせるかと思ったが、サンディは「そうね」と小さく笑った。クラシスも自然と微笑む。出会って数年経つが初めて彼女に笑顔を向けられたかもしれない。

「今日が従士生活最後なんだってね。最年少で後から来たくせに同期の中で一番に卒業だなんてナマイキ」

 想定通りの恨み節にクラシスは苦笑いを浮かべる。でもまあそんなことは今はどうでもいいの、とサンディは続けた。サンディは先ほどから頬を赤らめ妙にもじもじとしていたが、意を決したのか背中に隠していたものをバッとクラシスの眼前に突きつけてきた。

「ほら。これ……お、覚えてないかもしれないけど、返すわ。あと騎士への叙任祝いも兼ねて」

 そう言って出してきたのは紙袋だった。受け取って中を見ると、そこには焼き菓子の入った包みと綺麗に洗われ折りたたまれたハンカチが一つ入っていた。このハンカチには見覚えがある。初めての合同訓練の時、怪我したサンディの膝に巻いたものだ。

「ずっと返せなくてごめんなさい。なんか……タイミングが掴めなかったのよ」
「別にいいのに……というかハンカチなんて貸してたことすっかり忘れていたよ。ああでもお菓子は嬉しいな! ありがとう」
「ちょっと甘めにしといたから。あんた甘いの好きでしょ?」

 なんで知ってるんだ? いや、何度か食堂で一緒になったこともあるし知っててもおかしくないか。

「ってもしかして手作りなのか?」

 しまった、とサンディが固まった。少し治まっていた頬がまた上気していく。

「しゅ、趣味なのよお菓子作りが! 悪い!? 言っとくけどあたし料理は得意なんだからね!」
「い、いや、そんな必死に弁解しなくても……ありがたく食べさせてもらうよ。ありがとう」

 フンッとサンディが顔を背ける。今になって、なんとなく彼女の性格が分かってきた。従士でいた期間は短かったけれど、もっといろいろ話しておけばよかった。フェインとももっとちゃんと向き合っていたら何か違ったのかもしれない。もう遅いけれど。

「遅くないわよ」

 ハッと二人して顔を見合わせる。サンディはバツの悪そうにクラシスに背を向けた。

「あんたって、あたしの家のことどれくらい知ってる?」
「いや……情報屋の家系だってことくらいしか。あとは――変な噂があったな」
「その噂、本当よ」

 ざわりと木々が鳴った。振り返ったサンディの顔が月明かりに照らされる。

「あたしには他人の心が読める。触れればハッキリと過去も視える。未来は視えないけれど――過去と思想が分かればその人間がど何をしようとしているのかくらい分かるわ。それが、初代サンディ・ハートが情報屋である以前に占い師と呼ばれていた所以」

 サンディはほんの少し怯えた目をしながら、クラシスの瞳を真っ直ぐに覗いた。

「……そうだ。君は前に忠告してくれたよな。ティナと――マリアンさんと関わるのはやめたほうがいいって。君にはすべて分かっていたのか?」
「全部じゃないわ。だってあたしマリアン・サリンジャーとはほとんど面識なかったもの。せいぜい廊下ですれ違って挨拶しただけよ。それでも……彼女の強い感情が伝わってきたの」

 サンディは手を己の胸に当て、言葉を選んでいく。

「彼女の――ティナベル姫やあんたへの愛情は本物だった。でもフェルナーゼへの憎悪も抑えきれないほどのものだった。彼女はオートクラティックの災厄で両親と弟を亡くしていたから」
「!」

 なんとなく分かっていたことだった。彼女はオートクラティックの再建と仇討ちをすると言っていた。それにクラシスは時折マリアンから"誰か"の面影に重ねて見られていると感じることが少なくなかったのだ。
 マリアンさんが僕を庇った時に咄嗟に叫んだ名前。あれはおそらく――

「ラスティンってのはマリアン・サリンジャーの弟のことね。騎士を目指していたって……生きてたらたぶん、あんたと同じくらいの背格好だったと思う」

 また心を読まれた。

「だ、だけど分からない。それでなんでフェルナーゼを恨むんだ? フェルナーゼ騎士団がオートクラティックを救出に来てくれて――フェルナーゼは葬儀までおこなってくれたじゃないか」
「それは――あたしには彼女が持っていた主観の情報しかないから、正しいかは分からないけれど」

 そう前置きすると、サンディはぽつぽつとマリアンの話をし出した。
 マリアン・サリンジャーは元々オートクラティックの貴族の娘だった。十年以上前に将来フェルナーゼの貴族の元へ嫁がされるために渡ってきたが、結局それは破談になり、縁あって剣技の腕を買われ、その後はフェルナーゼ騎士団に所属していたのだという。
 災厄のあったあの日も、騎士団にいた彼女はオートクラティックの異常を知り一刻も早く救援に向かいたかったはずだ。だけど、それは叶わなかった。事態はとっくに把握していたのに、フェルナーゼ騎士団はずっと待機させられたまま――いつまで経っても、どれだけ進言しても、救出に行く命令が一向に王から降りなかったのだ。そしてやっとフェルナーゼ騎士団がオートクラティックの城に向かえた時には、すべてが終わっていた――

 クラシスは足元がぐらぐらと揺らぎ、崩れていくような感覚がした。

「こんなに近くにあっても――同じ街であっても、フェルナーゼとオートクラティックは別の国だから。不用意に介入できなかった、といえばそれまでだけどね。でも彼女は、事の理由はそれだけじゃないと確信していた。だから暴挙に出ることを選んだ――」

 その後マリアンは騎士団を辞め、"偶然"募集が始まった、まだ赤ん坊だったティナベル姫の護衛騎士に志願したという。もしかしたらその時から復讐の機会を伺っていたのかもしれない。
 クラシスは息を飲む。とても嫌な予想をしてしまった。潮のように血の気が引いていく。

「……まさか。まさかそんな……もしかして全部――」
「ストップ」

 サンディがクラシスの口元に指先を向ける。

「分かってる? あんたは明日からフェルナーゼの騎士になるのよ」

 そうだ。僕は"ティナベルの"騎士になる。

「何も確証はないのよ。"すべてを知っているであろう人"に直接触れでもできれば別でしょうけど」
「……なんで……そんなこと、僕に」
「あんたは知っておくべきでしょ? 当事者の一人なんだから」
「……そうか。僕のことも知っているんだな、全部」
「……気色悪いでしょうけど、しょうがないじゃない。あんたがあたしを助けた時に視えちゃったんだもの」

 サンディはそう言うと腕を抱えて顔を伏せた。――やっぱりだ。彼女はきっと、自分の能力のことを良くは思っていない。その能力で他人を傷つけ忌み嫌われることを恐れている。だからこそ自ら孤立し、他人と接触することを極力避けてきたのだろう。

「いや……なんかもう、いろいろとありすぎて。よく分からないや」

 クラシスは腰を下ろし、壁にもたれかかる。そのまま上を見ると雲の合間から星と欠けた月が瞬いているのが見えた。

「なあ――サンディ・ハートって襲名しただけなんだろう? じゃあ君の本当の名前はなんていうんだ?」
「は? それ訊いちゃうの? あたしたちそんなに仲良くないでしょ」
「ま、まぁそうだけど……いや、無理に答えなくてもいいよ」
「……まあ、遅くないって言っちゃったし……別にいいわよ」

 サンディはクラシスの横に腰を掛けると、ぼそりと呟いた。

「エレファ。……エレファ・トール」
「エレファか……うん、覚えた。いい名前じゃないか」
「う、うるさいわね!」
「エレファはなんで従士に――騎士を目指そうと思ったんだ?」
「ちょっと! 気安く呼ばないで! 今のあたしはサンディ・ハートなのよ」
「だけどエレファでもあるだろう?」

 うっ、とサンディは口を尖らせる。

「……あたしは騎士にはならない。卒業したら本格的に国お抱えの情報屋として生きることがもう決まってるから。今はただの……猶予期間ってだけよ。あたしが本当にエレファでいられる最後のね」
「……そうか」

 皆、いろいろあるのだ。

「あたしも来年には卒業するし。そうしたらもう簡単には会えなくなるわね。あたしも――不用意に外に出れなくなるもの」
「じゃあ君が卒業したら時々手紙を送るよ。情報屋サンディ・ハートにじゃなくて――僕の同期仲間であるエレファ・トールに」
「な、何よ……なんでそう素面で恥ずかしいセリフが吐けるのよ。変な奴」

 たじろぐサンディが妙におかしくて、クラシスは笑った。

「まあ、いいわよ。……友人としてなら受け取ってあげないこともないわ」

 もう夜も更けてきた。サンディがタタッと廊下に走り出ると、紫髪のポニーテールが揺れた。彼女は後ろに手を組みながらくるりと回って小さく微笑む。

「――じゃあね、クラシス。明日からあんたの新しい人生が始まる。その先がどうなるのか――あたしにはまだ分からないけど。あんたが後悔しないように、頑張りなさいよ」
「ああ。またな、エレファ」






「おい、テメェ」

 サンディと別れた後、一度自室に戻ろうとしたクラシスを遮ってくる人影があった。現れたのはフェインだった。こいつの顔を見るのも久しい気がするな、とクラシスは呆れ気味に少し頬を緩めた。当のフェインはいつもと違い、妙に居心地が悪そうにしている。何の用だとクラシスが口を開こうとした瞬間、

「おらよ」

 と大きな紙袋がドサッと投げつけられてきた。

「なんだ?」
「最初は捨てちまおうと思ったんだがな。けど……せ、制服って結構たけェし……捨てんのも寝覚めがわりィから取っといてやったんだよ。ありがたく思えや」

 紙袋の中にはあの時――事件のあった日、フェインに投げつけた従士服の上着が入っていた。怪我の療養であの日以来制服を着ることもなかったためクラシスはすっかり忘れていた。ぐちゃぐちゃのまま袋に詰め込まれているので洗濯されているかは分からない。

 ――そういえばこのシチュエーション、まるでさっきのサンディと同じじゃないか?
 そのことに気付いた途端じわじわと何かがこみ上げてきて、思わずクラシスは吹き出した。

「フェイン、お前もか! なんだ……真面目っ……くくっみんな、思ってたよりずっと真面目でいい奴じゃないか!」

 突然腹を抱えて笑い出したクラシスに呆気を取られていたフェインは、次第に事を理解しみるみる顔を赤くさせていく。

「な、なんだテメェ! 人がせっかく……ちくしょう、やっぱり捨てちまえばよかったぜ!! どうせもう従士の制服なんざいらなくなりやがるんだからな!」
「いや、助かったよ。ありがとう。これは僕の戒めだ――ちゃんと取っておかないと」

 感慨深げに制服を見つめるクラシスに、フェインは舌打ちする。

「ガキのくせにいっつも偉そうに達観ぶりやがって。そういうとこがムカつくんだよ、テメェはよ! 先に騎士になれたからって調子乗んなよ。俺だってすぐに騎士になって、いずれはこの国の騎士団を率いる最強の騎士団長様になるんだからな! テメェはせいぜい生温い場所でぬくぬく腐っていけよな」
「最強!」

 ブハッと再び吹き出したクラシスをフェインが鬼の形相で睨み付ける。

「テンメェェ……完ッ全にバカにしてやがるだろ……」
「いや、いや違う、悪かった。でもお前に実力があるのは確かだから。もしかしたら本当になれるかもな、最強の騎士団長」
「なれるかもじゃねぇ、なるんだよ! ――チッ白けたぜ。何なんだテメェはよ……そうやってガキはガキらしく笑ってりゃ、俺だってもっと」

 そこまで言いかけ、フェインは頭を振った。
 ――何故だろうか。今までずっとフェインとは折り合いが悪かった。妙に突っかかってきて、いつもイライラさせられていた。なのに今は心が穏やかだ。

「そうだ。お礼と――お詫び? と言ってはなんだけど……さっきエレ――サンディから貰った菓子、少し分けてやるよ。僕だけが食べるのももったいないだろ? 手作りだそうだし」
「サ、サンディの手作り菓子!?!?!? テメェ!! なんでそんな羨ましいモン持ってやがんだ!!」
「な、なんだよ……叙任祝いにくれたんだよ」
「クソが!! なんだよテメェ!! ムカつくけどいい奴じゃねェかよ!! 早く寄越せ!!」
「うるさい、夜だぞちょっと静かにしろ」

 もっと早く僕が周りに心を開いていたら――周りを信用していたら、何かが変わっていたんだろうか。だけど、遅くないとサンディは言ってくれた。
 今日はこれから夜通し聖堂で祈りを捧げることになっている。従士生活最後の夜は、ほんの少しだけ楽しかった。