幼姫と騎士の昔話

第11話 騎士


 保護されたクラシスとティナベルは、騎士団と同行していた医療班に応急処置を受けていた。ティナベルはせいぜい手足の擦り傷程度だったが、医者はクラシスを見て何故平気で意識を保てているのか不思議なくらいだと慄いた。
 布に包まれた遺体が騎士と憲兵たちの手で倉庫の中から次々と運ばれてくる。その中の一つに、長く綺麗な黒髪が隙間から垂れているのを憔悴しきったクラシスが漠然と眺めていた。

「うぅん……」
「――ティナ!!」

 ふとティナベルが寝返りを打ち、その目をゆっくりと開けた。身体が軋み血がバタバタと飛び跳ねたが気にする素振りもなく、クラシスはティナベルに駆け寄る。

「んー……あえ、クラシス、どおしたの……?」

 まだ寝ぼけているのか目をごしごしとこすっていたティナベルだったが、その視界に血だらけのクラシスを捉えた途端悲鳴を上げた。

「クラシス!! またおケガしてるの!? や、やだ……やだぁ……クラシスがしんじゃう……!!」
「大丈夫……大したことないよ」
「でも! そーだっ、はやく、マリアンのお茶のまなきゃ! マリアンは!?」

 場がシンと静まる。

「マリアン……あ、あれ……? ね、クラシス、マリアンはどこ? ティナ、マリアンといっしょにシューレイのカネ見にきたんだよ! あのね、おにもつの中にかくれておしろの外にでてね、」
「ごめん……ティナ、ごめん……」
「クラシス……?」

 クラシスは膝をついたままティナベルを抱き寄せる。あ、また彼女に血がついてしまう――と頭の隅で考えたが、その腕を緩めることはできなかった。
 ティナベルはハテナを浮かべながらも、クラシスのいつもと違う様子に何かを感じたのかその頭をよしよしと優しく撫でた。

「僕はもっと大きく、強くなって……君を護れる騎士になる。君は僕が護る」
「?? うん。じゃあ、やくそくね」

 そう言うとティナベルは自身の服の中に手を入れ、何かゴソゴソとし出した。

「えへへ、ほらこれ! マリアンがくれたの、おまじないのネックレス! マリアン、クラシスにもくれたでしょ? これからもずっといっしょにもってようね」
「…………!!」

 ティナベルが首から下げていたのは銀色の十字架のネックレスだった。クラシスはティナベルから離れ、自身のズボンのポケットに震えた手を差し込み、そこにあったものをゆっくりと取り出す。血に汚れた手の中で金色の十字架が光っていた。

「ティナ……僕にはこれを持つ資格がない。君が持っててくれ」
「え? なんで!?」

 ティナベルはうーんうーんと唸る仕草を見せると、やがてパッと閃いたように顔を上げた。

「じゃあこのキンピカのはティナがつけるから、クラシスにはティナのギンピカのほうをあげるね!」
「そ、それじゃ意味がないよ……」
「なんでー? せっかくマリアンがくれたんだよ! クラシスはマリアンがくれたペンダントいらないの!?」
「それは――」

『これとお揃いのペンダントを持っていると、なんとその人と一緒に幸せになれちゃいます』

 ふと彼女の言葉を思い出す。ネックレスを貰った時はマリアンさんとお揃いなのかって浮かれてたっけ。数時間前のことなのに、まるで遠い昔みたいだ。彼女は最初から僕とティナベルを幸せにしようとしていたのか。例え僕がティナベルと離れ離れになっても――あるいは、僕を仲間に引き入れることも元々視野に入れていたのかもしれない。

「要る……」

 その言葉と共に、ポロリと翡翠の瞳から雫がこぼれた。

「あ、あれ?」

 一度溢れると止めるに止められなくなる。我慢しようとすると喉が締め付けられるように痛く息苦しくなり、ボロボロと嗚咽と共に涙が溢れ出ては地面を濡らしていった。情けなくてティナベルには見えないよう、身体を丸くして顔をうずめる。胸が苦しい。
 
 ――ああ、そうだ。僕はマリアンさんが好きだった。初恋だったんだ。僕もいずれ護衛騎士になって、マリアンさんと二人でティナを護って、これからもずっと三人で一緒にいるつもりだった。一緒にいたかった。
 
「ク、クラシス、やっぱりおケガがいたいの? じゃあはやくかえって、マリアンのお茶のもうよ! ティナ、シューレイのカネ見たかったけど今日はがまんする!」

 僕は独りだったはずだ。大切なものは失った時のほうが辛いから、もう作らないって思ってたはずだ。
 なのに、僕はいつの間にか作ってしまった。

「クラシス」

 たどたどしい小さな腕がクラシスの首にそっとネックレスを下げる。銀色に光る十字架。側面には小さく「ティナベルディア」と彫られていた。

「かえろう、クラシス」
「……ああ。帰ろう、ティナ」








「クラシェリス・ティーヴァチル。いや、今はクラシス・ティーヴ……だったか?」
「はい」

 その夜、謁見の間でクラシスの身勝手な行動への処遇を巡る審問が行われた。フェルナーゼの王、クローゼス、騎士団団長、そして査問会の数名がクラシスを囲んでいる。
 フェルナーゼの王は頬杖をついたまま言葉を続けた。

「まずは先の事件、愚かな暴漢共からティナベル姫を救い出したこと褒めて遣わす」
「……は」
「だが、分かっているな? 貴様が出張らずとも騎士団は救出の手立てを進めていた。今回の貴様はたまたま上手くいっただけの事……失敗しておればティナベルに危害が及んでいたかもしれない」
「はい。重々承知しております。何なりと処罰を」

 フン、とフェルナーゼの王は鼻で笑う。

「急くな。我は褒めて遣わしたのだぞ。確かに失敗しておれば打ち首も免れなかったであろうが、貴様は成功したのだ。その功績は受けるべき罰よりも大きい」
「え……」
「騎士団の弾圧が成功していたとも限らなかったからな――何せ首謀者はかつて鬼神と呼ばれた女、マリアン・サリンジャーだったのだ。貴様はティナベルと共にマリアン・サリンジャーとも親交があったそうだな? ククッあの女も親しい者には実力を発揮できなかったか。交友のあった貴様だからこそサリンジャーを討てたのであろう。よくぞやった」

 クラシスは絶句した。

「その鬼神を倒し大の大人十数名を仕留めた貴様はさながら"鬼神殺し"だな。今回の一件で空いたティナベルの護衛騎士の席――どうだ? クラシス・ティーヴ。そこに座ってみないか」
「へ、陛下! お言葉ですがそれは酷にございます!」
「黙れアンクフッド。これは"事件を解決した彼奴への褒美"だ。相応の名声と地位を与えるというのに何が酷だというのだ?」
「護衛、騎士……」

 護衛騎士は"騎士団に所属する騎士"とは違う。主となる特定の個人にのみ忠誠を誓い、護衛する専属の騎士だ。常に主の側を離れず、護り、主の命を忠実にこなす存在。

「待ちなさいクラシェリス、"姫様の"護衛騎士になるということは君はもう今後この市都からは……!」
「構いません」

 クローゼスは息を飲む。彼が自分の身を案じ心配してくれているのは重々承知している。だけど、クラシスに既に迷いはなかった。

「ティナベル姫の護衛騎士の任、謹んでお受けいたします」

 クラシスから返ってきた思い通りの答えにフェルナーゼ王がニヤリとほくそ笑む。

「よかろう。準備が整い次第叙任式を執り行う。最後の自由時間だ、それまで心して療養するがよい」







 
 査問が終わり、クラシスとクローゼスは謁見の間を出て従士寮へ向かっていた。途中、クローゼスは何と声をかけたらよいのか分からないといった顔で、神妙にクラシスの名を呟いた。

「クラシェリス……」
「ありがとうございます、クローゼスさん。ちゃんと分かってます」

 きっとマリアンさんもそうだったように。フェルナーゼ王は姫のお守りという名目で僕も飼い殺しにするつもりなのだろう。

「それと僕は……いえ、私はもうクラシェリスじゃない。フェルナーゼの――ティナベル姫に仕える騎士。クラシス・ティーヴです」
「そうか。そうだったな」

 シンとした空気が浸透した頃、不意に足を止めたクローゼスはずっと秘めていた思いをこぼした。

「なぁ、クラシェリス……いや、クラシス。私は君を助けたあの日から――今も昔も、君のことを自分の息子のように思っているよ。養子縁組のことも――今も私の気持ちに変わりはない。ま、まぁ君には厚かましくて迷惑かもしれないが――」
「そんなことない! ――っつぅ……」

 思わず声を張り上げてしまい、クラシスは気恥ずかしそうに目を伏せた。その上ずっと気を張っていたため忘れていた怪我が今になってズキズキと痛み出し、身体が強張る。

「だ、大丈夫か? そうだ、あまりにも君が平然としていたからすっかり忘れていた! 君は大怪我をしていたんだったな、早く医務室へ――」
「クローゼスさん」

 痛む身体を押さえつけながら、クラシスが口を開く。

「僕はクローゼスさんにはずっと感謝しています。これからもそうです。旧友の息子というだけでこんなにもよくしてくれて――いくら感謝しても、しきれないです」

 何故この人はこんなにも親切にしてくれるのだろうと、疑問に思うことはあった。恩返しするどころか迷惑をかけてしまうことだってあったのに、彼は優しくクラシスを見守ってくれた。クラシスを助けても何も得はなかったはずだし、親切に対する見返りも何も求めてこなかった。元来、クローゼスとはそういう人なのだ。

「僕にはこの姓を捨てることはできない……だけど、僕のほうこそ厚かましいと思われるかもしれないけれど――騎士の叙任式には、クローゼスさんに、その――僕の後見人――親族代表として参列してほしいって、そう思っています。僕にとってもクローゼスさんは父親のような人だから」

 ダメでしょうか、と小さくクラシスは聞き返した。とっさに出たお願いだったが全て本心だった。言ってから、汗がじわじわとにじみ出てきたのは怪我のせいだけではなかった。
 ――ああ、やっぱり厚かましかっただろうか。養子縁組を断っておいて、父親の代わりをしてほしいだなんて。
 そんなクラシスの心配をよそに、クローゼスはわなわなと震えながら目に涙を浮かべていた。

「ああ……ああ! もちろんだとも! 息子の晴れ舞台だ。任せてくれ」

 不安を露わにしていたクラシスの顔がみるみる明るくなっていく。やがて満開の花のような笑顔を咲かせると、その表情にクローゼスは嬉しそうに微笑み返した。何も取り繕うものがない、クラシスの年相応な心からの笑顔を見たのはそれが初めてだった。