幼姫と騎士の昔話

第2話 陛下


 クラシェリスが目を覚ましてから動けるようになるまで、そんなに長くはかからなかった。
 それまでの間に、オートクラティックの災厄で亡くなった人々を送る葬儀がフェルナーゼの下で大々的に行われた。
 ――その中にはクラシェリスが生きていると信じていた父と母の亡骸もあった。遺体はオートクラティックの土地に土葬され、クラシェリスはクローゼスに支えられながらただ茫然とその様子を眺めていた。
 多くの貴族や、城に仕えていた者たちが死んだ。だが、皇族の亡骸は誰一人として見つからなかったという。皇帝や皇子たちは無事なのかもしれない、とクラシェリスは心の隅で静かに思った。よかったと思う反面、そんな風に冷静に考えられる自分に反吐が出た。

 それからもう一つ、クラシェリスにとって転機ともいえる予想外のことが起きた。
 クラシェリスがクローゼスの小姓ページとなったのだ。
 小姓とはよく言えば秘書、雑に言えば小間使いのことである。クラシェリスは小さい身体ながらよく働いていたため、身辺の雑用から警備まで、幅広く任されていた。
 クローゼスからはクラシェリスの父と同じように、騎士になればよいのではないか、と提案された。そのためにはまず誰かの下で小姓として経験を積み、それから従士にならなければならなかった。

 だが、クラシェリスの下積み時代も一年という早さで終わりを告げた。クラシェリスが驚異のスピードで剣技の腕を上げていったからである。オートクラティックにいた頃から彼は皇帝自ら手ほどきを受け、剣技を習っていた。そのおかげか同じ小姓仲間の間でも群を抜いており、小姓の中で行われる稽古で彼に勝てる人間は居なくなった。
 それから間もなくして、クラシェリスの従士への昇格が決まった。


「昇格おめでとう、クラシェリス。私としても嬉しいよ」

 怪我が治ってからもクラシェリスはクローゼスの屋敷で過ごしていた。しかしここでの生活ともしばらくはお別れである。

「はい、ありがとうございます。クローゼスさんのおかげです。クローゼスさんにはとてもお世話になりましたから」

 そう言うと、クラシェリスはにっこりと笑った。それは取り繕ったような笑顔だったが、その笑顔にクローゼスも、はははと笑い返す。

「私はこれからもお世話するつもりだがね。いや、世話になったのは私の方か。ともかく、これから君が来るのは我が騎士学校だ」
「そうですね」
「これからは実戦にも参加しなくてはならない。辛く、厳しいものになるのは明白だ。それでも……」
「大丈夫です」

 クローゼスが言い終えるよりも早く、クラシェリスは言い切った。面を食らったようにクローゼスは一瞬息を止めると、クラシェリスの真っ直ぐとした目を見てからふっと微笑んだ。

「……そうか。愚問だったな」

 クローゼスは机の上にバラけてあった資料を簡雑にまとめ、立ち上がった。

「さて、君はこれから陛下と謁見しなければならない」
「陛下と……ですか?」

 フェルナーゼの領地にはかれこれ二年近く居るが、フェルナーゼの王と直接会うのは初めてだ。正確にいえば、葬儀の時に遠くで見かけた程度だ。それはクラシェリスにとっては「会った」のではなく、「見た」なのである。もしかしたら挨拶を受けていたかもしれないが、何しろ鎮魂祭でのクラシェリスはまるで人形のように無表情のまま、一言も声を発せないほど憔悴していた。彼の心はそこにはなかったのだから、記憶になくても無理はないのかもしれない。

「何、心配することはない。私もついていくからね。それに君のことはちゃんと説明してある」

 ということは、向こうは僕がオートクラティックの人間であることを知っているのか。

 謁見の間は城に入って真っ直ぐの階段を上ればすぐの場所にあり、階段を上っている途中からでもクラシェリスの何倍もある大きな扉がこちらを待ち構えていた。

 最初にフェルナーゼの城に足を踏み入れた時、見覚えのあるどこか懐かしい感覚がクラシェリスの中に蘇った。
 外から見た時に形が同じだったことから察しはついていたが、やはりフェルナーゼ城はクラシェリスが生まれ育ったオートクラティック城と構造が全く変わらなかった。それこそあちこちに飾られた装飾品などは違えど、城の中を歩いていると、まるで今まで過ごしてきた時間が嘘のように、扉を開ければその奥には父や母たちが今でも居るような、そんな錯覚さえした。

「……実は私も王の御前が苦手なんだ。まあそのなんだ、ああ、気楽にな。気楽に」

 ふと自分の前を歩いていたクローゼスに話しかけられ、クラシェリスははっと意識を戻した。それから自分よりもガチガチしている大人を見て急に肩が軽くなったように感じ、柔らかく微笑んだ。

 こほん、と扉の前でクローゼスが小さく咳ばらいをする。それから、よく響く大きな声で宣言した。

「陛下、例の少年を連れて参りました」
「入れ」

 返事を聞き、見張りの兵が二人がかりで両側の扉を開ける。扉の向こうは、やはりクラシェリスの知る謁見の間と酷似していた。

「ほう。お前がティーヴァチルの息子か」

 目の前の赤い絨毯を辿っていくと、広い部屋のやや奥に置かれた立派な椅子に頬杖をついた男性が堂々と居座っていた。クローゼスと共に、片膝をつき頭を垂れる。

「はい。クラシェリス・ティーヴァチル……です」
「オートクラティックのか?」
「は、はい」

 ふむ、と王はまた小さく呟くと、一時、間が空いた。沈黙が流れる。

「あの――」
「お前の噂はアンクフッドからよく聞いておる。その年にしては優秀すぎるほど、剣技の腕が立つようだな」

 間に耐えられずクラシェリスが口を開いた瞬間、王が質問を変えた。クラシェリスは慌てて対応する。

「あ、ありがとうございます」
「どれ、一つ剣技の程を見せてはくれまいか?」
「は……?」
「陛下、それは!」

 クラシェリスが訊き返すより先にクローゼスが立ち上がる。

「取って食おうという訳ではない。ただアンクフッドが目をかけるほどのその実力、見てみたいのだ」

 王は金の顎髭を撫でながらにやりと笑った。近くで見てみると思っていたよりずっと若い。まだ三十代半ばほどだろうか。帽子から下がった布で顔の左半分を覆い隠しており、もう一方の赤い瞳がクラシェリスを冷ややかに見つめている。その視線を受け、クラシェリスは覚悟を決めた。

「分かりました」
「クラシェリス!」
「相手は従士から選ぶとしよう。正午、騎士学校の前でどうだ? 異存はあるか、アンクフッド」

 クローゼスがクラシェリスを見る。その視線に気づいたクラシェリスは薄く微笑んだ。その目は変わらず真っ直ぐとしたものだ。
 諦めたようにクローゼスは再び王に頭を垂れる。

「……仰せのままに」

 クローゼスの返事に王は含み笑いを見せると、視線をクラシェリスへ移した。

「それと、そうだな……クラシェリス・ティーヴァチル。その名をそのまま使うのはやめた方がいいだろう。ティーヴァチルの名はそれほどに有名だ。感づく者はすぐにお前がオートクラティックの人間であることに気付くであろうな」

 王の言葉にクラシェリスは目を見張った。眉を軽くひそめ、王に笑いかける。

「名を捨てろ、と?」
「ここではオートクラティックの名を聞けば顔をしかめる者も多かろう。怪奇の目に晒されたくはあるまい?」

 貴方も例外ではない、とクラシェリスは心の中で毒づいた。



 その後クローゼスは対戦相手を決めるため謁見の間に残り、クラシェリスは一旦クローゼスの屋敷に戻っていた。正午までそんなに時間はない。クラシェリスは自室に用意されていた従士の規定服に袖を通した。
 小姓は稽古の時以外は基本私服だったため、制服というものを着るのは初めてだ。制服の色は、騎士になってからはいくつかあるバリエーションの中から自由に選べるが、従士は基本的に青と定められている。
 丁度着終わった直後、部屋をノックする音がした。

「よく似合っているじゃないか」
「クローゼスさん」

 扉を開くと、不服そうなクローゼスが顔を覗かせた。

「私とて君一人だけをひいきにする訳にはいかない。相手が従士から選ばれるとなれば尚更だ」

 クローゼスの言葉にクラシェリスは頷く。

「僕も自分の実力が知りたい。それに、これくらいで立ち止まってたら騎士になんてなれません」
「……そうだな。ああ、それにもしも負けることがあっても、従士になる資格を失う訳ではない。気楽にな」

 念を押すようにクローゼスは言った。それほどまでに強い相手なのだろうか。

「僕は負けるつもりなんてありませんよ」

 クラシェリスはこれまでと変わらず強気の笑みを見せて言い返した。

「はは、なんだか本当にそんな気がしてきたよ。ああ、そんなことを言っては相手の子に失礼か。あくまで平等ではないといかんな、うん」

 そうですよ、とクラシェリスは相槌を打つ。
 それからクローゼスは言い出しにくそうに一旦頭に手を当てると、思い切ってずっと心内に潜めていた話題を切り出した。

「名前……のことだが」
「……ああ、そのことなら」
「やはり――ティーヴァチルの名を、捨てる気はないのだね」
「……はい」

 名前に関しては、王に言われるよりも以前に一度、クローゼスから提案されていた。
 
 ――養子としてこの家に来ないか、と。
 
 一度はそれでもいいと思った。だが、クラシェリスは結局その申し出を断ったのだ。
 クラシェリスという名には正直あまりいい思い出はない。小さい頃は散々女のような名前だと言われ続け、いつしか自身もそれを気にするようになった。けれど、これは大好きだった母がつけてくれた名だ。
 それにティーヴァチルの名はそれとはまた別である。オートクラティックの間ではおそらく知らない者は居ないほどに、父は偉大だった。クラシェリスは父を尊敬していたし、この名に誇りを持つべきだと思っている。捨てる訳にはいかなかった。

「すみません。でも大丈夫です、この名前は捨てられないけれど――ちゃんと、考えてあります」

 無意識にクラシェリスは拳を握り締めていた。