幼姫と騎士の昔話

第3話 試合


 その日は珍しく午後の訓練が休みで、食堂で飯食ってさっさと寮に帰って、ぐっすり眠るつもりだった。

「剣技の対戦相手? この俺が?」

 大食堂でずるずるとラーメンをすすっていた少年、フェイン・ガルネットは突然の申し出に目の前に居る先輩へ聞き返した。そういえば昼時だというのに、今日はやけに人が少ない。

「ああ、そうだ。一年の中ではお前が一番腕が立つとアンクフッド監督から直々の御指名だ」
「対戦って……どこのどいつとやるンすか? まさか先輩?」
「まさか。来週お前たちと遅れて同期になる新入りとだよ。そいつ十二歳だってよ」

 ブホッと鈍い音がした。フェインがラーメンを吹いたのだ。おまけにゲホゲホとむせている。

「十二歳!? 十二で従士――まじかよ」
「まあ落ち込むよな、俺も従士になれたのはお前くらいの歳だったし」

 うんうん、と同情したように先輩は頷きながらフェインのラーメンを奪った。

「試合は学校前の広場で正午からだそうだ。急げよ」

 言われ、フェインは食堂の壁にかけられている大きな時計に目をやった。針は既に正午十分前を差している。

「言うの遅いっつーの!」
「あ、そうだ、それから――」

 フェインがそう叫ぶのと従士寮へと駆けていくのはほぼ同時だった。その姿が見えなくなったのを確認すると、フェインの先輩はぽつりと呟いた。

「勝てるかなー、あいつ……陛下の前だぜ」

 それは本人には伝わらなかったとても重要な情報だった。



 

 正午。対戦はまもなく始まろうとしていた。が、片方の対戦相手はまだ試合会場に来ていない。騎士学校広場の周りにはかつてないほどの人数が集まっていた。何しろ、城の敷地内とはいえ滅多にお目にかかれない国王陛下が自ら対戦試合を観戦しようとしているのだ。野次馬はどんどん増していく。当然、王の周りには専属の護衛騎士たちが数人待機している。

「フェインは何をやっているんだ」

 クローゼスは王の様子をちらりと盗み見る。まだ機嫌は損ねていない。

「待った待った待った――!!」

 そこへやってくる、場違いな大声。フェインだ。ぜえぜえと荒れている息を膝に手をついて整える。先ほど食べていたものを胃から出してしまいそうな勢いだった。クローゼスは安堵の息をつく。

「待っていたぞ、フェイン。国王陛下がお待ちだ。早く定位置へ」
「うっす! ……え? こ、国王へいか?」

 クローゼスの向こうを見ると、それこそ場違いな豪勢な椅子が一つ。その上に威厳ある顔つきでこちらを見ている人物が居た。フェインの顔から雨の音のように血の気が一気に引いていく。

「フェイン、そしてこっちが君の対戦相手の――」
「――クラシス・ティーヴです」

 クローゼスが言うよりも早く、茶髪の少年は自らそう名乗った。クローゼスは思わず目を見張る。少年の瞳は相変わらず据わったまま、真っ直ぐ前を向いていた。

「クローゼスさん、この人が僕の相手なんですね」
「あ、ああ」

 クラシスはそれを聞くなり、にこりと微笑んだ。その余裕の笑みを見たフェインはピクリとこめかみを動かす。

「ふん、ほんとにまだガキじゃねーか」

 王の存在に冷や汗を流しつつ、フェインは強がりのようにニヤ笑いを浮かべた。クラシスの顔つきが変わる。

「二人に竹刀を」
「待て」

 竹刀を用意していた従士生に命令したクローゼスを王の声が止める。

「……陛下?」
「竹刀では面白くなかろう。真剣でやるがよい」
「そんな……危険です! 生徒同士に真剣でやり合わせるなどと――」
「僕は構わないですよ。そちらがよろしければ」

 挑発するようにクラシスはちらりとフェインを見た。

「お、俺だって平気だぜ! 真剣は実戦でもう何度も振り回してんだ」

 何を熱くなっているんだ、とクローゼスは溜め息をついた。普段の大人びた様子から忘れかけていたが、この子もまだまだ子どもなのだと理解した。
 クローゼスは仕方なく肩をすくめると、待機していた従士生に仕方なしに真剣を持ってくるよう命じた。

「……二人とも、無理はするんじゃないぞ。あくまで相手の剣を取り上げるだけの試合なんだからな」

 クローゼスの言葉は果たしてちゃんと二人の耳に届いていたのかは不明だった。真剣を手にした二人はただ真っ直ぐ相手を睨みつけている。
 クラシスは抜いた鞘を左手に持ち、フェインは抜きさった鞘をそのまま地面へ投げ捨てた。

「勝負は二回戦。では……始め!」

 クローゼスの合図と同時に、先手を打ったのはクラシスだった。フェインの元へ一気に間合いを詰める。

「悪いけど、こんなちっこい奴相手に本気出せって方が無――」

 ガキン、と金属音が鳴り響いた。クラシスが左手の鞘で、油断していたフェインの剣を一瞬で弾いたのだ。弾かれた剣は幸い人の居ない茂みの方へ飛んでいった。

 あまりの呆気なさにその場を沈黙が包む。

 剣を握った形のまま完全に固まっているフェインの耳に、やがて外野からクスクスとした笑い声が聴こえてきた。顔がトマトのように真っ赤に染まっていく。

「ひ、ひ、卑怯だぞ! 人が話してる時に――」
「え、いや……でも開始の合図はしたし」

 そうだそうだ、と周りから野次声が飛んでくる。フェインは泣きたくなった。王の方は怖くて見れなかった。

「うっせ! まだ二回戦あんだろ!!」

 茂みに落ちていたフェインの真剣を拾っていた従士生からそのまま剣を掻っ攫うと、フェインは集中するため一度瞼を閉じた。真剣の柄を握る指の一つ一つに力が加わる。次に目を開けた瞬間、フェインの顔つきは完全に変わっていた。
 相手のみを視界に入れ、戦いに専念する。それはクラシスも同様だった。もはやこの二人の耳には誰の声も届かない。
 聴こえていたのかも曖昧に、クローゼスの試合開始の合図とほぼ同時に、二人は相手に向かって斬りかかっていた。

 再び音程の高い金属音がその場に鳴り響く。今度は剣が弾かれた音ではなく、刃同士が激しい衝突をして引き起こしたものだった。
 一旦間合いを取るためクラシスが一歩下がる。待っていたと言わんばかりにフェインは再び斬りかかった。
 体格も腕力も二人の差は大きく、正面からの鍔迫り合いではクラシスに勝機はない。だが身体が大きく一振りが強烈な分、フェインは動きがクラシスほど俊敏ではなかった。そこにクラシスは狙いを定めた。
 フェインの攻撃を一旦鞘で受け止めた後、鍔迫り合いとなる前に右手の真剣を振り上げる。反射的に身を引いたフェインにクラシスは一気に勝負をしかけた。
 流れるような早業。剣の閃光が見えるほど素早く何度も振り回し、相手を押さえつける。傷つける意思はないとは言え、その激しい猛攻に防戦一方になったフェインは自身の足元に気づかなかった。
 普段ならば全く気にしなかったであろう、二センチにも満たない段差。それが命取りだった。不意にバランスを崩したフェインの隙をクラシスが見逃すはずもない。
 ガキン、と音を立てフェインの剣が弧を描いて弾き飛ばされる。
 尻もちをついたフェインはそのまま喉元に剣の刃先を向けられ、勝負は完全についた。