幼姫と騎士の昔話

第4話 従士


 試合も終わり、観戦していたフェルナーゼ王からは栄誉の声を頂いた。王の言葉はいかにもわざとらしく心に響かなかったが、同じく側で観ていたクローゼスからは父親の面影を見たと言われ、クラシスは内心嬉しくなった。
 その一週間後、クラシスは正式に従士となった。

 以降、クラシェリス・ティーヴァチル・オートクラティックは、クラシス・ティーヴと名乗ることとなる。







 十二歳で従士となったクラシスはそれこそ注目の的であったが、それと同時に、従士生たちの中では異端の存在だった。
 同期ですら皆、二、三歳は年上だ。対戦試合でクラシスの剣技の腕は認められているものの、それだけで手放しに信用できるほど寛大な者ばかりではなかった。
 それは先の対戦相手であったフェインを筆頭に巻き起こっていた。

 フェインは例の試合以降、クラシスのせいで国王陛下の前で恥を掻いたと根に持っていた。あれは剣の腕で負けたのではない、運がなかっただけだ、戦った場所があの場でなければ勝てていたはずだ。
 唯一得意と言えた剣技で敗北しプライドを傷つけられ、以来、フェインも人が変わったように日に日にガラが悪くなっていった。


 クローゼスの元で小姓をしている間に知ったのだが、従士の中には女子も多々居ることには驚いた。ある一人の女性が初の護衛騎士になったことから、急に騎士志望の女生徒が増えたのだという。もちろんクラシスの同期にも女従士は数人居た。
 そんな数人の女子たちからは周りを囲まれることがあったが、大概男子からは非難の目で見られ、クラシスはフェインを中心とした男子の輪から完全に省かれるようになった。

 しかしクラシスはそんなことすら、もはや眼中になかった。
 もともと自分は二年前から独りだったのだ。クローゼスはとてもよくしてくれたが、それでもクラシスはクローゼスとの間に境界線を引いていた。大切なものは失った時の方が辛いと知ってしまったから。

「相変わらずすかした顔してんな」

 夕刻、訓練が終わり従士寮に戻ろうとしていたクラシスはふと足を止めた。
 短い金髪に青い瞳。クラシスより頭一個分以上は高い身長に、同じ青い従士服。フェインだった。
 何も言わないクラシスにフェインはフンと鼻を鳴らすと、どすどすとクラシスに近づきその胸倉を掴み上げる。

「いつまでもナメてンじゃねえよ」
「僕はあなたをなめてるつもりはありませんが」

 売り言葉に買い言葉。言ってから、クラシスはしまった、と心の中で呟いた。わなわなとフェインの腕が震える。胸倉を掴まれたままの腕を突き出され、クラシスは後ろにすっ転んだ。

「お前、自分がここで一番強いとか思ってんだろ」

 フェインの足が蹴りの動作に入る。

「誰が一番強いのか教えてやんよ!」

 間もなくクラシスに向かってその足が飛んできた。クラシスの位置からでは、夕焼けが逆光となってフェインの表情がよく見えなかったが、蹴りを避けたクラシスはその勢いのまま相手の顎に思い切り頭突きを喰らわした。ゴチンと鈍い音が両者の骨に響く。

 ――やってしまった、とクラシスは再び後悔した。自分は案外カッとなりやすいのかもしれない。クラシスは逃げるように自室に戻った。

「くそ……」

 やがて、その場に残された人影がごろりと転がった。すかさず反撃を食らい、あまりの不意打ちに逆に吹っ飛ばされてしまったフェインは、クラシスが逃げた部屋を睨みつけ奥歯を噛んだ。



 それから数日と経たない内に、クラシスにとって初の実戦がやってきた。
 実戦と言っても今回の場合、生徒の技量や対応能力を測り、また仲間と交流するためのもので、実質レクリエーションに近い模擬戦だ。そして今回の相手は同じ従士寮の先輩たちであり、先方もまた後輩とどこまで戦うことができるのかを試されている。
 場所は市都から少し離れた土地にある、人工的に整えられた訓練場。多く木々の茂った林から足場の悪い岩山など、訓練するには持ってこいの場所だ。
 実戦は主に三人一組で行われる。

「げ」

 クラシス・ティーヴ。
 フェイン・ガルネット。
 サンディ・ハート。
 組み分けで名を呼ばれ、顔を見合わせた三人は思わず同じ言葉を発した。

 サンディ・ハートとは今回初めて会話をした。後頭部で一つに結い上げた紫色の髪に、同じ色の瞳。そしていつも首元に黄色いスカーフを巻いている。増えてきたとはいえ男従士と比べればまだ圧倒的に人数の少ない女従士の一人。教室でほとんどの女子がクラシスに群がってくる中、彼女だけはクラシスに全く興味を抱かなかったのだ。何も接点がなかったため、何故彼女まで嫌な声を上げたのか、クラシスは分からなかった。
 実戦が始まる直前にクラシスが思い切って訊いてみたところ、サンディはすぐに顔をプイと背けて

「あたし、あんたたちみたいなの嫌いなの」

 と言い捨て、クラシスは余計に訳が分からなくなった。フェインは今日に限って珍しく押し黙っていた。



 実戦は順調に進んだ。内容はもともと訓練場に仕掛けられていた罠を避けながら、指定された場所まで行くというもので、それまでの間に先輩たちから幾度と襲撃されたが、このメンバーには手加減など必要なかった。
 クラシスやフェインはもちろんのこと、サンディもまた、女従士の中では非常に優れた才能の持ち主だった。彼女の場合、その武器は剣ではなく棍だ。彼女の身長は小柄なクラシスよりやや高いくらいで、棍の長さも大体同じ――おそらく身長によるリーチの差を埋めるためなのだろう。
 むしろ、手加減を必要としたのはクラシスたちの方であったが、三人の間には「協力し合う」という今回の実戦本来の目的は決定的に皆無だった。
 歩いている方向こそ同じであれど、会話などは何もない。。今までそれぞれ悪目立ちしていた三人がここに集結してしまったのだ。

「何よ、こんなの三人居る必要ないじゃない」

 荒れている岩山の崖を登りながら、唯一女子という面で体力的にも遅れを取っていたサンディは小さく息を吐くように呟いた。それにしても随分と足場が悪い。

「キャッ!」

 不意に岩肌に引っかけた足が滑り、一瞬宙に浮いた。――落ちる。
 だが、しばらく固く目を閉じていたが一向に落ちる気配はない。代わりに腕が引っ張られるように重かった。

「……大、丈夫?」

 恐る恐る目を開けると、腕を掴んでいるクラシスが最初に映った。思わず目を見開く。

「あの、早くどこか掴まって、重い……」
「し、失礼ねっ!」

 プルプルと震えるクラシスに向かって意地と同じくらい声を張り上げると、サンディは再びバランスを取り、なんとか岩の上に登った。荒い息を整えていると、先を行っていたフェインが戻ってくるのが見えた。

「お、おいっ! お前ら――」
「怪我してる」

 クラシスがサンディの膝を見て言った。言われて両膝を見ると、縦に引っ掻かれた傷に血が赤く滲んでいた。じわじわと痛んでくる。

「き、気付いたら痛くなってきたじゃない!」

 サンディは薄く涙を浮かべながら怒鳴った。その声にクラシスは一瞬肩をすくめる。それから溜め息を吐くと、黙ったままハンカチを取り出してそれをサンディの片膝に巻きつけた。
 え、とサンディはクラシスの顔を見る。クラシスは変わらず無表情のまま口を開いた。

「僕一枚しかハンカチ持ってないよ」
「ハ、ハンカチくらいあたしだって持ってるわよ」

 ほら! と取り出されたハンカチを素早くもう片方の膝に巻いた後、クラシスはすっくと立ち上がって手を差し伸べた。

「立てる?」
「バっ、バカにしないでよ、ねっ……」

 サンディは顔を真っ赤にして、不意にその手を払い退けた。自力で立とうと足に力を入れるが、腰が抜けてしまったのか上手く立ち上がれない。その上、力を入れる度に両足がじりじりと傷んだ。

「……痛い」
「肩貸そうか」
「い、いいってば!」
「じゃあどうするんだ」

 クラシスは思わず顔をしかめた。サンディの顔を覗いてみると、さっきから顔を赤くしたまま、やたらと眼を泳がせている。このままでは埒が明かない。

「何やってんだよ、お前ら!」

 その場を打破したのはフェインだった。こちらもまた顔を真っ赤にしたまま、何故かクラシスだけを睨みつけていた。

「け、怪我したのか」

 それからチラチラとサンディの方にも視線をやり、フェインは声をどもらせながら言った。

「その足じゃ立てそうにないな。おんぶする?」
「「んなぁっ!?」」

 クラシスの提案に、フェインとサンディは同時に素っ頓狂な声を張り上げた。クラシスは首を傾げる。

「じゃあ、おっおおおお、おれ、俺がっ……」
「じっ、自分で立てるわよっ! って、痛ーい!」
「何なんだ……」

 ぎゃわぎゃわと騒いでいる年上二人を余所に、一人置いていかれているクラシスは何も分からず、ただぼそりと呟いた。

 一時間後、『二人で肩を貸す』という形で落ち着いた三人はようやく動き出し、時間をかけて目的地に辿り着いた。あの場でのいざこざがなければ疾うに早く、一番でクリアしていただろう最有力チームであった三人は、あろうことかびりっけつという結果に終わった。