幼姫と騎士の昔話

第7話 予感


 フェインたちとの乱闘事件は結局クローゼスが手を回してくれたらしく、あまり大事にはならずに済んだ。とはいえクラシスとフェインたちは罰として一週間、城と従士寮すべてのトイレを掃除することを命じられ、それはそれで重労働だったのだが。
 甘えるつもりはない――だなんて思っていても、現にクラシスはクローゼスのおかげでここに居ることができるのだ。何かお礼はできないかと考えた時、真っ先に浮かんだのは"一刻も早く騎士になること"ではないか、ということだった。結局今するべきことは変わらない。

「クラシス・ティーヴ」

 乱闘の事後報告も兼ねマリアンの部屋へ向かっていた時、不意に後ろから呼び止められた。振り向くと、紫色の髪をした少女が腕を組みながら不機嫌そうに立っている。

「サンディ・ハートか。何か用?」

 例の訓練以降クラシス、フェイン、サンディは正式に一緒の隊にされていたが、基本的に各自淡々とこなすためあまり面と向かって話す機会はなかった。フェインどころかサンディには露骨に避けられていたくらいだ。
 何故突然話しかけてきたのか皆目見当がつかないクラシスは黙ってサンディを見つめる。視線がバチッとぶつかると、サンディは慌てて目を逸らした。視線は合わさず、彼女の口が開く。

「単刀直入に言うわ。これ以上ティナベル姫とマリアン・サリンジャーに関わるのはやめたほうがいい。あんた、悲しむことになるわよ」
「な、なんだいきなり? ……死ぬほど怪しいんだが……」
「……まあそうね、普通はそういう反応するわ。余計なお世話だったわね。けど一応……訓練の時の借りがあるし……」

 ふい、と彼女は身体をそむけると自身の髪の先をいじりだした。心なしか耳が赤い。

 思い出した。彼女の家系は"情報屋"――約二百年前、この世界と国を創世し直した七賢人の一人、情報屋サンディ・ハートの末裔だ。サンディ・ハートという名は当主が襲名するものであり、本名は別にあるのだという。
 彼女自身の噂も聞いたことがある。サンディ・ハートには人の心を読む力がある、と。真偽は分からないが、その噂もあってか皆彼女を遠巻きに見ていたし、彼女もまた誰とも積極的に関わろうとはしていなかった。

「理由を教えてくれないか。じゃないと鵜呑みにはできない」
「……きっとよくないことが起こる、としか言えないわ。とにかく忠告はしたから。あとは好きにしたらいいわ」

 サンディはそう言うと、そのままどこかへ行ってしまった。意図の分からない忠告と共に残されたクラシスは心を曇らせたまま、ただ彼女が去っていった方向を見つめていた。





 季節も初秋に入った頃、フェルナーゼ王国騎士団の元へ『オートクラティック地区から来た民たちがフェルナーゼの管轄内を荒らしている』という知らせが入った。
 オートクラティックはそれまで統べていた者たちが一斉に消えたことで無法地帯となり、災厄以降今も暴動と混乱が続いている。フェルナーゼも度々支援をしているが、それでも救いの手を回し切ることはできていない。
 国家の治安維持には主に警備を任務とする"憲兵隊"と、憲兵では手の負えない敵に対し直接的武力行使をする"騎士団"の二つがある。今回従士隊は憲兵隊の応援として半数に別れ、それぞれフェルナーゼ地区とオートクラティック地区の見回りを任されることとなった。

「君たち従士隊の任務はあくまでも現状を確認、把握することだ。成績のよい隊は危険なオートクラティック地区へ配属することになるが、くれぐれも無理はするんじゃないぞ。何か不審なことがあったらすぐに憲兵隊か騎士団へ報告するように」
「はっ!」

 クローゼスの号令に従士隊が呼応する。その間もクローゼスがチラチラとクラシスの顔色を窺っていたが、クラシスは心ここに在らずといった状態で全く気が付かなかった。



 クラシスたち第二従士隊は市都アルトメリムにおけるオートクラティック地区東南住宅街の見回りを任されていた。
 栄華に満ち溢れているフェルナーゼ地区の街並みと違い、オートクラティックの街は酷く荒んでいた。どの建物もヒビが入っており、暴動の爪痕が生々しく残っている。あの日襲撃されたのはオートクラティック城だけだったはず。だが、その余波が確実に城下町まで回っている。
 災厄では貴族だけでなく、突然の襲撃に対抗したオートクラティックの騎士団や憲兵隊もそのほとんどが命を落とした。治安組織が壊滅し取り締まる存在がいない今、暴漢たちがやりたい放題できてしまうようになったのだろう。
 昔は優しい人達で溢れていた綺麗な街並みも、今ではあちこちにゴミと生気をなくした人々が散乱していた。これではどう見てもスラムだ。ここにクラシスが居た頃の街の面影はもう残っていなかった。

 クラシスの鼓動がどくどくと早まる。あの事件以来、クラシスはオートクラティックの地に足を踏み入れたことがなかった。ずっと見ないようにしてきたのだ。

「――ねぇ……ねぇ、ちょっと。クラシス・ティーヴ! 聞いてるの?」
「え、ああ……どうした?」

 声をかけてきたのはサンディだった。腰に両手を当て、彼女はクラシスの顔を覗き込む。

「どうしたはこっちのセリフよ。あんた……大丈夫なの? すごく顔色が悪いわ」

 何気なく自分の額を手で拭うと、じっとりと汗がついていた。気付けば全身が汗でじとじとしていて気持ちが悪い。

「………無理する必要はないわよ」
「無理なんて、してない。早く見回りに行こう」
「………」

 サンディが溜め息をつく。

「――フェイン・ガルネットっ!」
「おっ、おう!?」

 突然サンディに名前を呼ばれ、よそ見していたフェインが飛び跳ねた。さながら大型犬のように、大きな図体をしておきながらソワソワとサンディの元へ駆け寄ってくる。

「なんだよ……サ、サンディ」

 サンディはふぅ、と一息つくとなんとか苛立ちを抑えるように冷たく目を細めながら親指でクラシスを指差した。

「こいつ、騎士団の臨時拠点まで運んでちょうだい」
「「は!?」」

 クラシスとフェインの声が重なった。

「心配されてるだなんて勘違いしないでよね。そんなフラフラしてるくせにまともに任務がこなせるの? もしもの時あんたに倒れられたらこっちが迷惑なの。邪魔。足手まとい。お荷物」

 そこまで言わなくても、とクラシスは固まった。

「……チッ、めんどくせぇが確かにサンディの言う通りだ」
「ま……待て! 僕は平気だ! 下ろせ!」

 気付けば一瞬の内にフェインの両肩に担がれ、慌ててクラシスは手足をばたつかせた。しかし「テメ、ゴラァ! 暴れんじゃねぇ! 俺が危ねぇだろうが!」と逆にフェインに抗議され、結局クラシスは大人しく項垂れた。身体が思うようについてこない。先ほどから体調が悪かったのは事実だった。

「――二人ともちょっと待て。あれ……!」
「あ? 往生際がわりィぞテメェ」
「違う!」

 クラシスが遠くの路地を指差す。釣られてフェインとサンディが目を凝らすと、複数の男たちが何かとても大きな袋を担ぎながらこそこそと辺りを警戒して路地裏に消えていくのが見えた。断言できないが、何か袋の中がもぞもぞと動いていた気がする。

「はぁー……行くわよ」
「………チッ」
「ちょ、その前に下ろせ! 筋肉バカ!」

 クラシスを担いだままフェインとサンディは男たちの追跡を開始した。






 男たちは一通りの少ない路地裏を選びながら移動を続けていた。人数は五人。担がれた袋は三つだ。
 袋が動いているように見えたのはやはり見間違いではなかった。袋は子供一人が入りそうなサイズで、ムームーと人の声のようなものが聴こえる。

「静かにしろ。暴れるな!」

 男たちが麻袋をどさりと落とすと一瞬うめき声がし、中の声が大人しくなった。

「やっぱり人攫いってところかしら」

 家々の陰に隠れ、その様子を一定の距離を保ちながら見ていた従士三人はヒソヒソと相談を始める。

「どうすんだよ?」
「あたしたちの任務は現状調査だけよ。一旦戻って騎士団へ報告に行きましょう」
「袋詰めなんて――酸欠も心配だ。僕は早く助けたほうがいいと思う……」
「めんどくせぇ、さっさとやっちまおうぜ」
「なんだお前ら?」

 バッと三人が振り返る。後ろから声をかけてきた男は従士の制服に気付き驚いた顔を見せると、すぐに麻袋を持っていた連中へ向かって大声を上げた。十中八九奴らの仲間だ。

「おいッ! お前らつけられて――「どわぁっ!?」」

 言い切る前に悲鳴が二つ重なった。悲鳴の一つはクラシスだった。

「半病人はそこで寝てな!」

 ぶん投げられたクラシスごと男が鈍い音を立てて倒れる。今までの仕返しとでも言いたげにフェインは頬肉を上げて小バカにしたように笑った。そのまま剣を引き抜きフェインは麻袋を持った男たちのほうへ突撃していく。
 
「あ、あの野郎……」

 ビキビキと血管を浮かばせクラシスの眉間にしわが寄る。直後、クラシスの下敷きになった男がうめきながら起き上がろうとしたため、顎をバゴンと蹴って気絶させた。

「な、なんだてめぇら!」
「るっせぇ! 従士隊だオラァ!!」

 男たちが咄嗟に取り出した剣をフェインが弾き飛ばす。気圧された男たちはそのままフェインに追撃され、飛び蹴りを喰らっていた。間髪入れずにフェインは次の男に飛びかかる。

「ああもう! なんでこう血の気が多いのよあんたたちは……!」

 片手で頭を抱えたサンディの背後に男の一人が近寄る。そのまま羽交い締めにされ――る寸前、サンディの棍が脇から後ろに向かって一突きされ、背後にいた男の鳩尾に埋め込まれた。がふ、と声を漏らし男は膝から崩れ落ちる。

「レディに気安く触ろうとしてんじゃないわよ」

 突き刺した棍をくるりと回転させると、サンディはそれをそのまま男の後頭部に振り降ろした。たんこぶができる程度の衝撃だろうが、気絶させるには充分だった。
 サンディが麻袋を開けると、中にはやはり子供が入っていた。意識がある子もいれば既に気を失っている子もいる。早く保護しなければならなかった。
 形勢不利を悟ったのか、残された男の一人がその場から駆け出す。

「げっ、一人逃がした!」
「まずいわ、応援を呼びに行ったのかも」
「――ッ僕が行く!」
「あっ待てテメェ! 勝手に……!」

 呼び止める間もなくクラシスが飛び出した。
 逃げた男はそこまで足は速くなかった。いつもならすぐに追い付けただろうに――今は、足が鉛のように重い。やはり体調は優れないままなのだ。それというのもきっと、男たちを追跡していた時から――いや、フェルナーゼの城壁を抜けてオートクラティックの地に入ってから、ずっと視界に"見たくないもの"が見えていたからだろう。

「………!」

 不意にクラシスの足が止まる。
 男が逃げ込んだのは、ずっと視界に入り込むほど大きくそびえ立っていた――オートクラティック城だった。
 今や廃墟同然で立ち入り禁止の看板も虚しく、庭も城壁も荒らされている。クラシスの顔はみるみる青ざめ、その身体はガタガタと震え出していた。

「おいっ! 何やってる!」

 後を追いかけてきたフェインの声に、ハッと意識を戻す。

「こ……この中に入っていった」
「げっ、おばけ城かよ……めんどくせぇな。つか何、お前まさか怖いのか?」

 おばけ城? フェルナーゼではそんな風に言われていたのか。

「サンディはガキ連れて騎士団とこ行ったぞ。テメェも戻っとけよ、そんなブルっちまってるなら役立たずもいいとこだ。この先は俺一人で充分だぜ」
「……バカ言うな。相手が何人いるかも分からないんだぞ……」
「バカはテメェだ、こんなの手柄を取るチャンスだろうが!」
「あっ! 待て、バカ……!」

 揚々と城内へ向かって走り出したフェインをクラシスは震える心を押さえつけながら追いかけた。