幼姫と騎士の昔話

第8話 変化


 エントランスに踏み入れた途端、クラシスの具合はさらに悪化した。
 案の定、城内はかつての面影すらなく荒れ果てていた。足元にも、壁にも、あちこちに古い血痕の跡が生々しく残っている。グルグルと視界が回り動悸がして呼吸が浅くなる。
 ああ。ああ――ダメだ。やはりここにだけは来るべきではなかった。
 恐怖、後悔、憎悪、ありとあらゆるどす黒くおぞましいものが胃の底から湧き上がって――

「う、ぉえっ――!」
「お、おい!?」

 突然膝をついて嘔吐したクラシスの背にフェインが思わず手を伸ばす。

「――って、ぁあクソ! ガラにもねぇ!」

 自分の思わぬ行動にフェインはガシガシと頭を掻くと、辺りを警戒した。よく見ると城のエントランスにしては似つかわしくない缶や酒瓶、ゴミが散乱しており所々から生活感のようなものを感じる。おそらく連中はここをねぐらにしているのだろう。
 ――突如、空気を引き裂くようにパンッと破裂音が響いた。

「っぶねぇ!!」

 ほぼ同時にフェインがクラシスの詰襟を掴んで思い切り投げ飛ばす。またお前は――! と転がったクラシスはフェインを睨み付けたが、すぐにその顔色を変えた。

「フェイン!」

 フェインは左腕を抑えてその場に片膝をついていた。血がじわじわと制服ににじむ。彼の腕は何か鋭いものが掠めたのか制服ごと切り裂かれていた。

「ってぇぇ~~かすり傷だけど痛てぇ! クソが!! なんだぁ!?」

 僕を庇ったのか。クラシスはハッとするとすぐに叫んだ。

「フェイン、こっちに来い!」
「っテメェ! 命令すんじゃねぇ!」

 口では文句を言いつつもフェインはすぐに駆け出し、クラシスと共に大階段の下に身を潜める。
 敵に接近されてはいない――先ほどの攻撃は上から飛んできたのだ。クラシスには一つ心当たりがあった。

 今の攻撃はおそらく"銃"だ。火薬を使い弾を飛ばす、機械都市グニキタで近年開発された遠距離武器。まだ一般には出回っていないが、クラシスは昔見たことがある。
 かつてこの城に"それを扱う人"がいたからだ。彼の部屋にはそういった武器がたくさんあったはず――そこまで思い至って、クラシスはギリッと奥歯を噛んだ。大切な城が、大切な人たちの思い出が、誰かも分からない者たちによって荒らされ、汚されている。

 フェインは何が起きたのか分かっていなかったが、未知の攻撃をとっさに察知して避けられたことがまず驚きだった。野生の勘とでも言うのだろうか。やはり戦闘のセンスは確かにあるのだ。

「……さっきは助かった。ありがとう」
「あ、ぁあ? 何気持ち悪ぃこと言ってんだよ。さっきのはテメェがうざかったからぶっ飛ばしただけだ」
「――サンディの言う通りだった。今の僕は足手まといだ……」

 チッとフェインが舌打ちし、目を逸らす。

「言ってる場合かよ。だったらなんとかしてみせろよ、"神童"サマよぉ」

 いつもの憎まれ口にクラシスは苦笑する。おかげで少しだけ冷静になれた気がした。

「あいつらが持ってるのは"銃"だ。遠距離から攻撃できる機械武器……たぶん素早い連射はできないと思うから、隙があるとしたら撃ってきた後かな。撃つ前に間合いを詰めて叩けたらそれに越したことはないけど」
「もっかいさっきの奴避けろってのかよ」
「できないのか。まぁそうだな、お前怪我してるし……」
「ぁあ!? できるわ! さっきやって見せただろうが」
「腕撃たれたけどな」
「そりゃテメェのせいだろうが!」

 クラシスは思わず笑った。

「おぉいガキども! いつまでかくれんぼしてるつもりだ? 武器を捨てて大人しく出てきな」

 不意に城内に野太い声が響き渡り、二人は耳を澄ませた。

「だんまりか? おれたちは構わないぜ、"こいつら"がどうなっても。このご時勢だ、まだいくらでも調達できるからな」

 言い終わるや否や、遠くから幼い子どもの甲高い悲鳴が聞こえた。誘拐されてきた子どもが他にもまだいるのだ。

「……今は言う通りにしよう」
「はぁ!?」

 クラシスは腰から剣を引き抜くと開けた場所へ向かって投げた。剣がカシャンカシャンと音を立てて扉のほうへ滑っていく。そしてクラシスは両手を上げ、再び開けた場所に向かって歩き出した。フェインは舌打ちをしたが、剣を乱暴に投げ捨てると同じように投降の姿勢を見せてクラシスに並んだ。

「よしよし。抵抗しねぇならこっちも撃ちゃしねぇよ」

 顔を上げて声の主を確認する。階段の踊り場から長身銃を構えた男三人がニタニタと笑いながらクラシスたちを見下ろしていた。
 銃口を向けられたまま階段を上らされ、謁見の間まで連れてこられたクラシスは目を見開いた。他と同様、ボロボロに荒れされた謁見の間。だがクラシスの心が囚われたのはそこではなかった。

「こんなガキどもにやられたのか、お前らは。情けねぇ」

 リーダー格のような男がふんぞり返りながら鼻で笑う。賊の人数はリーダー格を含めて8名ほどだった。城を根城にしていた割には思ったより少ない。部屋の隅には手足を縛られた子どもたちが数人固まっている。

「や、やっぱり早く逃げたほうがいいですよ。こいつらガキのくせにやたら強くて……それにもう騎士団に連絡されたかも……」

 街中でクラシスたちに見つかりこの城に逃げ込んできた男がリーダー格の男に進言した。いかにも腰巾着といった具合で、怯えながら後ろに下がっている。

「何ビビッてやがる。こっちには人質とグニキタの兵器があるんだぜ。これからは銃の時代よぉ」

 怯えている男をよそに、リーダー格の男やその取り巻きはゲラゲラと下卑た笑いを浮かべた。
 ――そんなことはどうでもいい。クラシスには一つ、どうしても気が気でないことがあった。ざわざわと肌が、心が逆立つ。なんだこれは。

「お前。どこに座ってる」
「あ?」

 クラシスの物言いにリーダー格の男は眉を潜めたが、すぐにフンと笑い直した。

「いい椅子だろう? なんだガキ、お前もここに座りたいのか?」

 男が座っていたのは玉座だった。クラシスの敬愛するオートクラティックの皇帝がかつて座っていた場所。煽るように男は椅子の肘掛けを撫ぜる。

「けど残念だったな。この椅子もこの城も、今はもうおれ様のモンだ」
「――け……」

 クラシスが上げていた腕を下ろした。

「そこからどけ!! そこはお前みたいな奴が座っていい場所じゃない……!!」

 ビリビリと肌に刺さるようなクラシスの剣幕に、隣にいたフェインも驚いていた。今までにもクラシスが怒鳴ることはあったが、今回はその比ではない。今のクラシスから伝わってきたのは怒りというよりも明確な憎悪だった。

「てめぇ、抵抗する気なら――!」

 男が言い切る前にクラシスは飛び出していた。鞘を剣帯から抜き取り構える。
 開戦の火蓋が切って落とされ、囲んでいた取り巻きたちがクラシスとフェインに向けて一斉に発砲した。

「結局こうなんのかよっ!」

 弾が掠め血が出ようが一切気にせずリーダー格に向かっていったクラシスとは反対に、フェインは初弾をかろうじて避けると、人質の子どもたちのほうへ駆け出した。
 クラシスの言った通り、一度発砲したあとは弾の再装填に多少時間がかかるようだった。その隙にフェインが取り巻きの男の一人を殴り飛ばし銃を奪い取る。その銃を一度見よう見まねで構えてみたが、

「だぁ~~っ、機械なんて使い方分かんねぇよ! オラァ!!」

 とフェインは結局奪った長身銃でそのまま別の男の顔面を殴り飛ばした。わりと――いや、かなり危ない行為だったが、弾が暴発したりすることはなく鈍器としての効果はあったようだ。そのまま子どもたちの周りにいた賊の男三人を伸すことに成功した。

「ガキィ! 調子に乗るんじゃねぇぞ!」

 リーダー格の男が椅子から立ち上がり両腕に二丁の銃を構える。すぐさまクラシスへ向けて発砲されたが、弾はキンと高い音を立て反れていった。鞘で弾道を逸らしたのだ。
 クラシスは立ちふさがってきた取り巻きの腰に下がっていた剣をすかさず奪い取ると、そのまま逆袈裟斬りをした。飛び交った血に周りの男たちとリーダー格の男が一瞬で狼狽える。

 再び男たちが発砲した弾をクラシスは避けなかった。直後、真っ二つに斬られた弾頭がカラカラと音を立ててクラシスの周りに散らばる。フェインは目を見張った。フェインにすら剣の軌道が全く見えなかったのだ。

「ば、化け物……! ぎゃああっ!」

 次の瞬間突然クラシスに間合いを詰められていた男は持っていた銃ごと腕を斬りつけられ悲鳴を上げる。クラシスは血走った眼で次の標的を捉え剣を振るった。血が舞う。クラシスは異常なまでに速さを増していた。まともに姿を捉えられないまま身体中を斬りつけられ蹂躙される恐怖に男たちの戦意は完全に喪失していた。

 まるで鬼だ。その光景にフェインまでもが呑まれていた。

「ま……待て! 降参する! おれが悪かった……! ぐああ!!」

 リーダー格の男の腕に剣が刺さる。男が尻をついて倒れると、その肩をクラシスは蹴とばして踏みつけた。

「お、おい――!」

 フェインが不穏な空気を感じ取りクラシスを見た。だが、クラシスの表情は読み取れない。
 クラシスが剣を逆手に持ち直した。その切っ先は倒れたまま項垂れている男に向かって勢いよく突き刺され――

「本当に殺す気か、テメェは!!」

 フェインがクラシスの肩を強く掴むと同時に、ドスッとクラシスの剣が音を立てる。それは男の首すれすれに床に突き刺さっていた。
 リーダー格の男は白目を剥き泡を吹いて完全に気絶している。クラシスは突き刺さったままの剣から手を放すと、生気のない顔で立ち尽くしていた。
 やがてガシャンガシャンと複数の鎧の足音が近付いてきた。

「ティーヴ! ガルネット! 状況はどうなっている?」
「あんたたちっ、大丈夫なの!?」

 サンディが騎士団を連れてやってきたのだ。声に釣られてクラシスはぼんやりとサンディのほうを向いたが、その直後まるで糸が切れた人形のようにクラシスはその場に倒れ込んだ。

「ちょ、ちょっと!?」
「救護班!」

 周りがバタバタと騒ぎ立てる中で、フェインは呆然とクラシスを見つめていた。




 オートクラティック城を密かに占拠していた犯人たちは最近市都の外から来たチンピラだったことが分かった。城の主だなんだと息巻いていたが実際は極力目立たないように事を為していたため、今までフェルナーゼ騎士団に目を付けられることすらなかったのだという。元よりフェルナーゼの騎士団や憲兵隊もオートクラティック地区まで常駐警備しているわけではないので、今回偶然足取りを掴めたのは非常に幸運だった。
 また、奴らは人攫いの実行犯であり、真のブローカーは他にいることが示唆された。攫われた子どもの大半はオートクラティックの民だったが、中にはフェルナーゼから連れてこられた子も混ざっており、厳重な調査が必要だった。

 縛られた賊たちが騎士団に引きずられ城の外へ運ばれていく。大怪我を負ってはいるが全員命に別条はないようだった。気を失い血だらけだったクラシスも本人が負ったのはかすり傷程度で、他はすべて返り血だったことがすぐに分かり、治療が済んだら従士寮へ連れ帰るようフェインたちは命令を受け待機させられていた。
 オートクラティック城の外にある枯れた水路の段差に座って、フェインはサンディに腕の手当をしてもらいながら顔を真っ赤にしてしみじみと呟く。

「……役得だぜ……」
「は?」
「な、何でもねぇ!」

 怪訝そうにしているサンディにフェインはなんとかニヤニヤと頬が緩むのを抑えていると、既に治療され寝かされているクラシスが視界の端に入りふと気がかりを思い出した。

「……な、なぁサンディ。俺のじいちゃんが昔言ってたのを思い出したんだけどよ……人間って奴は、嫌な感情や欲望が溜まりに溜まると――どうしようもなくその衝動に抗えなくなって、しまいにゃ"堕ち人"っていう自我のない化け物になっちまうんだってさ。お前知ってたか?」

 サンディが目を見開く。

「な、何よ急に」
「俺にはさっきあいつが化け物に見えた」

 既に動けない男に対して血走った目でトドメを刺そうとしていたクラシス。もしかしたら自分が止めなくても寸止めしていたかもしれない――いや、いつもの余裕ぶったあいつなら確かにそうしただろう。だが先ほどのクラシスはどう見ても"異常"だった。
 それは精神だけでなく、身体能力に対してもだ。確かに元からすばしっこい奴ではあったが、視界に全く捉えられないほどの動きが今までのクラシスにできたとは思えない。あれは明らかに人知を超えた動きだった。

「……嫌な感情なんて誰だって持ってるでしょ。あたしもあんたも――そんなこと言ったらみんなすぐに化け物になっちゃうわよ」
「……まぁ、そうなんだけどよ。あーっ、クソが! 調子狂うっつーの! それもこれも全部あいつのせいだ」
「大体ね、どんなに強くてナマイキだろうとあいつはまだあたしたちより子どもなのよ? あんたは大人げなさすぎ」

 ぐぅ、とフェインは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「ガルネット! 詳しい事情を訊きたい。こちらへ来い」
「はっ!」

 そこに騎士団から召集をかけられ、フェインは好機とばかりにそそくさと駆け足で逃げていった。その背を見ながらサンディは小さく息をつく。

「大丈夫よ……まだ大丈夫」

 サンディの独り言は誰にも聞かれることなく空に溶けた。