幼姫と騎士の昔話

第9話 倒錯


 目を覚ますとクラシスは自室のベッドにいた。

「あー! クラシスおきたー!!」
「……ティナ?」
「おはよぉ!」

 ティナベルがぼふんとベッドに乗っかってクラシスに抱きついた。その重さと暖かさにクラシスは微笑む。

「おはよう、クラシス。大変だったわね」
「マリアンさん」

 マリアンは水の入った桶をベッドの脇の机に置くと、そのまま近くの椅子に座った。

「ねぇ聞いて、こっちももう大変だったのよ! 姫ってば、クラシスがこのままずっと目覚めないんじゃって泣き出しちゃって。クラシスが起きるまでずーっとここにいるーってね。勝手だけど部屋にしばらくお邪魔させてもらっちゃった」

 マリアンはそう言いながら顔をくしゃくしゃにしぼめて、えーんと泣く仕草をしてみせた。ティナベルはそれが自分の物真似だとすぐに気付き「ティナ、そんなカオしてないもん!」と憤慨した。クラシスから思わず笑いがこぼれる。
 マリアンによれば、どうやら自分は丸々二日間も眠り続けていたらしい。クラシスは気だるい身体を起こした。

「何があったか覚えてる?」
「……ぼんやりとは……まるで悪い夢でも見てたようです。気持ちが悪い」

 怯えている人攫いの男たちをこの手で斬りつけた。その時の手の感覚は今も残っている。
 あの時あの瞬間、自分は確かに"自分"ではなくなっていた――いや、もしかしたらあの時の残虐な自分こそが自分の本性なのかもしれない。自分の中で確かに存在する憎悪と復讐心を否定はできなかった。
 自分を制御できない得体の知れない怖さにクラシスは身を震わせる。

「そうそう、従士の女の子たちが心配してお見舞いに来てたわよ。ヒューヒュー、このモテ男~~! 特にほら、紫色の髪の子。あの子は何度も……ふふふ可愛い子ねぇ、二人ってもしかして――コレ?」

 間違いなくサンディ・ハートのことだろう。マリアンはそう言うとニヤニヤ笑いながら小指を立てた。

「ち、違います!! 同じ隊なだけです!!」
「あはははは! やぁね、そんな力いっぱい否定しなくても!」
「ティナもいっぱいおみまいしたー!」

 ティナベルがベッドの上でバタバタと暴れる。お腹を抱えて笑うマリアンにクラシスは顔を赤くさせた。
 サンディとは本当に何でもない。マリアンさんにだけは勘違いされたくなかった。
 ひとしきり笑った後でマリアンはふぅ、と一息ついた。

「しっかし、君は度々問題を起こすねぇ! あはは、ホント退屈しないわ。いや、笑い事じゃないか……なまじなんとかできてしまう実力があるってのも困りものね。ずっとこの調子じゃクローゼス卿の胃に穴が開いちゃうわよ?」

 クラシスは言い返せなかった。

「城まで追い詰めた時点で本当は騎士団に伝達して待機してなきゃダメだったのよ。今回は上手くいったからいいけど、それを真似して他の従士隊まで勝手をし出したら示しがつかないから――君ともう一人の彼は、命令無視で一週間謹慎だってさ。ふふ、クローゼス卿的には二人とも怪我してるから療養も兼ねて、ってことなんでしょうけどね」

 クローゼスさんには迷惑をかけてばかりだ。
 目に見えて落ち込んでいるクラシスにマリアンはパッと笑って見せる。

「でも功績は功績! クラシスたちのおかげで子どもたちを助けられたんだから――そこはしっかりと褒められるべきだわ。よくやったねぇ、よしよし」
「よしよーし!」

 マリアンがクラシスの頭を撫でる。それを見てティナベルも真似して頭を撫でた。細い指がさわさわと髪をくすぐる。両側から頭を撫でられる気恥ずかしさに、うぅ、とクラシスは萎縮した。







 ティナベルたちと出会って、もう一年が経とうとしていた。クラシスも十四歳になり、後輩も数人入ってきたが今年は例年よりも少なかったらしい。その全員がクラシスよりも年上だった。従士寮の最年少は今もクラシスのままだ。

「あ、マリアンさん」

 午前の訓練が終わり一度寮へと戻る途中、クラシスはマリアンを見つけた。厳密にいえば、マリアンがクラシスを見つけたといった表現の方が合っているかもしれない。見つけるや否や、マリアンの方から先にクラシスの元へと駆けてきた。急に距離が縮まり、クラシスは照れくさそうに笑う。
 クラシスの中でマリアンという存在が少しずつ、何か特別なものへと変化していることを、本人はまだハッキリと自覚はしていない。

「クラシス、ちょっといい? 実は渡したいものがあります」

 突然だな。黒いしっぽ髪を揺らしながらやって来たマリアンにクラシスは小首を傾げた。

「手を出して」
「あ、はい」

 マリアンはにっこり笑って、クラシスの差し出した手の平に何かを握らせた。硬い――それに、角張っている。手を開いてみると、騎士や従士にとっては普段から何かと見慣れた十字型があった。その先に、長い紐がついている。ペンダントだ。

「十字架……マリアンさん、これは?」
「うん。お守りというか、おまじない」
「おまじない?」

 金色に光る十字架を手の上で軽く転がしていると、ふと側面に小さく名前が彫られていることに気づいた。クラシス――自分の名前だ。

「これとお揃いのペンダントを持っていると、なんとその人と一緒に幸せになれちゃいます」

 マリアンは人差し指を上に向けて立て、楽しそうに言った。えっ、とクラシスが一瞬息を飲む。クラシスは自分が赤面していくのを自覚した。

「え、あの、それって……」
「さぁ、それをどうするかは君次第です。じゃあね」

 そう言うと、マリアンは笑顔のまま嵐のように去っていった。残されたクラシスは戸惑った表情のまま、十字架のペンダントとにらめっこしていた。

 ――これとお揃いのペンダントを持っていると、なんとその人と一緒に幸せになれちゃいます。

 マリアンの言葉が頭から離れない。クラシスは一旦落ち着こうと、とびきり深く深呼吸をした。寮の通路にはいくつか薔薇が植えられており、微かに香りが漂ってきて少し落ち着いた気がした。だが、まだ頬が熱い。頭が沸いてしまったのかもしれない。

 わざわざ僕にくれたということは、彼女も同じものを持っているのだろうか。

 そう考えるとどうしても変な想像をしてしまい、クラシスはブンブンと顔を振った。





 クラシスにペンダントを渡した後、マリアンはティナベルの部屋へと向かっていた。その表情は先ほどまでと違い、どこを見ているのか分からない。

「あ、マリアン! クラシスは見つかったの?」

 突然背後から声がし、マリアンは振り返った。頬を蒸気させて、駆けてくる小さな少女。ティナベルだ。

「ええ。ちゃんと渡してきましたよ」

 マリアンは微笑んだ。その笑顔は、いつもの彼女のものだ。

「そっかあ!」

 えへへへ、とティナベルはいつものようにマリアンに抱きつく。

「あ! ていうか姫、お部屋で待っててって言ったのにまた勝手に外に出ましたね?」
「あっ」

 しまったバレた! とでも言いたげにティナベルが顔を逸らせる。

「まったくもう……」

 マリアンはティナベルの頭を撫でながら、やがて微笑みを浮かべてゆっくりと口を開いた。

「ねぇ、ティナベル姫――……どうせなら今度は、お城のお外に行ってみたくはありませんか?」
「お外? おしろを出てもいいの?」
「ええ。国王陛下も特別に許可を下さったんですよ」
「ほんとに!」

 ティナベルの顔がパッと明るくなった。

「じゃあクラシスもいっしょにいこうよ!」
「残念ですが、クラシスは今忙しいみたいですよ。また今度、誘いましょうね」
「えー……でもつぎはいつお外に出られるかわからないよ」
「大丈夫、きっといつでも出歩けるようになります。そうだ、外に出たらクラシスにお土産を買ってきてあげましょうか。城下町の商店通りには美味しいものを売ってるお店がいっぱいあるんですよ。クラシスは甘いものが好きだから――そうですね、お饅頭なんてどうでしょう?」

 ティナベルはまだ納得のいっていない顔をしていたが、結局マリアンの言葉にうんっと大きく頷いた。

「マリアンあのねっ、ティナね、あのカネ見にいきたい!」

 ティナベルは目をキラキラさせて、マリアンに言った。鐘、と言われればこの市都では一つしかない。

「鐘? ああ、秀麗の鐘のことですね。そうですねぇ……お城からだと遠くてあまりよく見えませんからね」

 秀麗の鐘とは、フェルナーゼとオートクラティックを唯一繋ぐ広場のちょうど中央にある時計塔のことだ。この街では時刻を知らせる重要なもので、ちらりと窓の向こうを見てみると遠くに街並みから突き出た、鐘の置かれている塔の先端が見えた。よほど目を凝らさなければ、ここからでは鐘の形など分からないだろう。

「いいですよ、用事が済んだら……行きましょうね」

 そう言ったマリアンの笑顔は、クラシスと初めて出会った時の上辺の笑顔にひどく似ていた。




 従士たちがぞろぞろと集まり、整列していく。女子たちも数人散り散りに交じってはいるものの背の順ではないため、身体の小さいクラシスは体格の大きな他の従士たちにすっかり囲まれていた。
 クラシスがちらりと横目で振り返った。クラシスの斜め後ろにはそっぽを向いてあくびをしながらフェインが立っている。
 あのオートクラティック城の一件以来フェインがクラシスに対し無暗に絡んでくることはなくなっていた。それは非常に喜ばしいことなのだが、あれだけ突っかかってきた奴が急に嫌がらせをやめてくると逆に気味が悪いな、とクラシスは鼻で息をついた。その後ろではサンディが呆れ返った顔で二人の様子を眺めていた。

 本日の午後の訓練は、従士監督であるクローゼスが直々に指導してくれる週に一度の剣技指南のはずだった。クローゼスは今でこそ現役を退き、従士を育てる教官として皆に慕われているが、昔はクラシスの父同様腕の立つ騎士だったという。他の従士はもちろんのこと、クラシスもまたクローゼスを尊敬しており、この剣技指南を楽しみにしていた。
 だが、いざ始まろうとした直前になってクローゼスの元に小姓がやってきた。何やら重要な話を言付かってきたらしくひどく慌てた小姓は、上手く言葉が伝えられず、しまいにはクローゼスに落ち着きなさいとたしなめられていた。

「ひ、姫……姫が……」

 小姓の声は予測以上に大きく、洩れた情報を聴いた一部の従士たちが大きくざわついた。最初は呆れた様子で聴いていたクローゼスの表情も、言伝を全て聴き容れた途端一変する。他の教官にも集合をかけ、確認を取っている。それからクローゼスはざわざわと騒ぎ立てる従士たちに向かい、はっきりとした口調で言い放った。

「君たちはここで待機しているように」

 かつて小姓をしていたクラシスですら、ここまで慌てたクローゼスの顔を見るのは初めてだった。数名の教官を残し、クローゼスは足早に訓練場を立ち去ってしまった。
 その場が騒然としている中、クラシスの顔にも普段は見ることができないほど焦りの色が浮かんでいた。聴いてしまったのだ。

「あ、おいテメェ! どこ行きやがる!」

 どこからか自分を引き留めるフェインの声がしたが、クラシスは居ても立っても居られなかった。自然と駆け出していた足が、先を足早に歩いていた人物を追いかける。

「クローゼスさん!」

 クローゼスは驚いたように振り返った。その表情は険しく、やはり今までで一度も見たことのないものだった。

「クラシェリス! 君も待機していなさい」
「姫に何があったんですか」

 軽く息を切らしているクラシスの詰問にクローゼスが顔を強張らせる。

「……そうか……君は確か、姫君とも親しくしていたね。クラシェリス、君はその護衛騎士のマリアン・サリンジャーを知っているか」
「マリアンさんにも何か……!?」
「……いや。まだ詳細は知れていないんだ。ただ、姫と共に彼女の行方も不明だと。あるいは……」

 戸惑っているクラシスにクローゼスは一旦何かを言いかけたが、クローゼスはその言葉を飲み込み、別の言葉を続けた。

「詳しいことが分かっていない以上、今はまだ従士隊を動かすことができない。後で指令を下すから、それまでは君も元の場所で待機していなさい。いいね」

 クローゼスはクラシスの返事を聞くよりも早く、早々と会議室へと向かってしまった。集合をかけられていたのだろう。クラシスは無意識のうちに拳を握り締めていた。

 待機していろだって? 二人が危険な目に遭っているかもしれないというのに?
 分かっている。またクローゼスさんに迷惑をかけたくなければ言う通りにすべきだ。だけど――

 クラシスの足が動きだした。行く先は先ほどまで居た訓練場ではない。こっそりと、クラシスはクローゼスの後をつけて行った。
 会議室に入っていく人々はほとんどが将校や騎士、教官の中でも位の高い者ばかりだ。その中には当然、クローゼスも居た。お偉い方々が集結している。きっと中にはフェルナーゼ王――ユゲルフィスタ陛下も居るだろう。それほどまでに重大な事件だった。
 さすがに中まで入る訳にはいかない。会議室へと入っていく足が一通り減ったのを見計らって、クラシスは扉に忍び寄りひそりと耳を澄ました。

「――のまま――るおつもり――」
「――だが騎士は――」
「街の憲兵がサリンジャーらしき――連れ――例の場所へ――」

 扉が厚く遠いのか、散々とざわめいている会議室の中からはところどころ途切れた会話しか聞き取ることができない。それに例の場所とはどこだ?

「探せ! なんとしても見つけ出すのだ!」

 突然はっきりとした大声がし、クラシスはビクリとした。部屋の中からの声も一旦静まり返る。

「し、しかし――のサリンジャーは――」

 静まった部屋にようやく声が響いた。この声はクローゼスだ。だが、その声を再び先ほどの怒声が追う。

「姫が無事ならば他の人命は問うまい!」
「しかし!」
「貴様、陛下に意見するか!」

 ――どういう、ことだ?
 簡単だ。陛下は"姫さえ無事なら他の人間はどうなってもかまわない"と言ったのだ。
 ガタガタと複数の椅子の揺れる音がしたかと思うと、部屋の中からの声が一旦止んだ。
 駄目だ。この人たちに任せてはいけない。いくらクローゼスさんといえど、きっと陛下には逆らえない。

「情報――らは西の廃工場へ――」

 ――廃工場。そこにティナやマリアンさんは居るのだろうか? 駄目で元々だ。行ってみるしかない。

「おい! そこで何してやがんだよオメェは!」

 ――追いかけてきたのか。

「……今はお前に構っている暇はない」
「テメェ、いい加減にしろよ」

 廊下を塞ぐように立っていたフェインを無視してすれ違おうとした寸前、長い腕がグンと伸びてクラシスの胸倉を掴み上げた。

「テメェが首突っ込めばどうにかなるとでも思ってんのか? 自惚れてんじゃねーよ。んなモンはテメェの自己満足に過ぎねぇ! 事は王族の誘拐だぞ、おばけ城の時とは訳がちげぇんだよ! テメェが勝手やって勝手に死ぬのは自業自得だろうがな、その後はどうなんだ? 従士が暴走した責任は誰が取らされる? そんぐらいテメェでも分かるだろうが」
「……意外だな」

 あ? とフェインはクラシスを怪訝に見た。

「お前がそこまでちゃんと考えてるとは思ってなかった」
「何ィ!?」
「――僕は」

 クラシスは目を伏せる。そうだ。これは本心だ。

「二人を助けるためだったら騎士になれなくてもいい。助けに行くのに従士という立場がダメなんだったら、その立場も捨てる」
「テメェ、まだ――!」

 クラシスは従士の証である青の上着を脱いだ。それをフェインへ投げつける。

「それでも僕は行く」
「チッ……もう勝手にしろ。つか、きたねぇモンよこすなよクソが……こんなモンその辺に捨てるからな!」

 クラシスは小さく笑うと踵を返し、駆け出した。